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小林育栄ひとり芝居『学校へ行きたいねんーただ愛してほしいだけ〜』平野区公演記念座談会

〜「学校へ行きたいねん」と言える日が来るのを信じて
●対談参加者
池上 豊
山岸 俊昭
大阪府府議会議員
河内 幸治
部落解放同盟会大阪府連執行委員
松元 憲行
東陽運輸株式会社代表
新屋 英子
女優
小林 育栄
女優
司会(池上豊):
本日は、お集まりをいただきまして有難うございます。
4月1日に開催されます小林育栄さんの『学校へ行きたいねんーただ愛してほしいだけ〜』平野区公演の成功に向けまして、ご尽力いただいている皆様にお話をお伺いしようということになりました。当日は、何ぶん限られた時間ですので、皆様方に充分お話していただく時間もございません。この座談会を当日のパンフレットの掲載しまして皆様方からのご意見にしていきたいと考えておりますのでよろしくお願いいたします。

本日の司会・進行役を務めます、池上でございます、どうぞよろしくお願いいたします。
では、最初に今回実行委員長を引き受けていただいております大阪府議会議員の山岸さんから、今回平野区で公演を開催することになった動機などをお聞かせください。

◆不登校・誰もがなりうる問題

山岸俊昭:
山岸でございます。私は、この『学校行きたいねんーただ愛してほしいだけ〜』の物語のベースになっている、不登校の問題について多いに問題意識を持っています。今私の手元に資料がありますが、今、文部科学省が把握しているだけで、不登校の子供達は全国で13万人にのぼると言われています。文部科学省は、調査研究協力者会議を設置し、不登校に関する調査を行い、報告書をまとめています。報告書の中では、社会問題となりだした頃、不登校は、特定の問題を抱えた子供がなると考えられていましたが、報告書では「誰しもなりうる問題」と指摘しています。もうひとつ、国連こども権利委員会は、不登校問題で日本政府に勧告をおこなっていますが、そこではさらに突っ込んで、「日本の過度の競争主義的な教育制度」に原因があると言っています。いずれにしても、教育制度の問題点を考えていく機会であると思います。このお芝居をつうじて平野という地域で皆さんと、何かできないか、考えてみたいと思います。

司会:
ありがとうございます。それでは、地域の中で、部落解放運動という立場で長年、この不登校問題にも取り組んでこられたのではないかと思いますが、河内支部長からお芝居との関わりや取り組む動機をお聞かせください。

◆「不就学」克服に取り組んで

河内幸治:
平野の地で33年間、運動に取り組んでまいりました。やはり「親には就労、子供には学力」ということは部落解放運動の一貫したテーマでした。でも、親と一緒になって子育てをどう考えるのか?というのは言うはやすしで、なかなか難しい問題です。小中学校との連携でこの間、低学力の克服や不就学ということにも取り組んできましたが、昨今、子供を取り巻く課題も複雑で充分な答えが出せていないと言うのも現実です。このお芝居を通じてそれらの問題も一緒になって考えていきたいですね。

司会:
さて、小林さんあるいは新屋さんとの関わりで言えば一番縁が深いと思われます松元さん。、今回、平野区の公演は、待ちに待った取り組みだと思いますが、お話をお聞かせください。

◆感激の渦に巻き込まれた初演

松元憲行:
私は、2年前、高知でこの『学校へ行きたいねんーただ愛してほしいだけ〜』の初演を見ました。それまで、新屋英子さんの『身世打鈴』上演を通じた取り組みでご一緒したり、新屋さんと小林さんのふたり芝居『星砂―オキナワ』では演技を拝見したり、またまた、新屋英子一座では恥ずかしながら私も同じ舞台に立ったりして、小林さんをよく知ってはいたつもりですが、このひとり芝居を見て、あらためてファンになりました。また、さすが新屋さんの愛弟子、芝居の隅々に新屋さんのDNAが引き継がれているようで衝撃を受けたような気がしました。早く大阪で、しかも地元の平野で開催したかったのが本音であります。

また、不登校問題ということでも、私の周りの多くの人の子供さんが、実は不登校だったりして、親御さんの気持ちを考えると居たたまれない気持ちでこの問題を捉えてきました。本来、学校は楽しい所で、遊びを覚えたりするのも学校です。この芝居を見てもらって、ひとりでも多くの子供が登校してもらえるようにならないかなあ、という気持ちです。

司会:
ありがとうございました。さて、このひとり芝居をプロデュースしました新屋英子さんに、このお芝居への思いをお伺いしたいと考えます。

◆小林育栄だからこそという想いに突き動かされて

新屋英子:
私はもう4分の3世紀ぐらい生きてきましたが、小学校というのはもう戦前ということになります。そこから女学校にかけて学校というものを休んだことが無かったですね。(笑)

親が無くなった時も、学校へいこうとして怒られてたくらいでした。だから、私の子供が学校を休むと言い出した時も、ひどく怒りました。でも、今よく考えて見ると、学校というものがどうなっていたかというと、東大を頂点にした学歴主義、能力社会で、ついていけない子は適当にしとけ、みたいな非常にこどもにとって寂しい場になっているのも事実ではなかったかと思うのです。

私も、子供の頃は、学校は休みはしなかったけれど、勉強は2の次で、休みになると興味のあったお芝居に熱中し、結果今日の私の基礎があると思います。それはほんとに楽しかった。楽しい事をしていく中で、人間はそこから自分を見つけていくものだと思いますし、そういうことが自然にできたので幸せだったと思います。家が裕福ではなかったので戦後仕事につきましたが、それでもお芝居がしたくて制作座に入ったんです。

今の子供は、そう言う意味では、時代の被害者です。楽しい事を見つけることが出来なくなっていると思います。小林さんはそんな現代の子供達により近いところの感性を持ち合わせていると思います。彼女とは、『星砂―オキナワ』や多くのお芝居で共に舞台に立ちながら、いろいろ話を聞くと、不登校になったこともあるという、自殺まで考えたこともあったと言います。そんな思いつめた頃の気持ちを鶉野が書いたこのお芝居で気持ちをぶつけて欲しいと思いました。ぜひ皆さんで楽しんで見て欲しいお芝居です。

司会:
ありがとうございました。それでは、演ずる小林さんから皆様にこのお芝居の見どころなどお願いします。

◆不登校に悩む当事者・保護者に見て欲しい。

小林育栄:
お集まりの実行委員に皆さん。また、私のお芝居に足を運んで頂いて今この冊子をお読みのみなさん、ほんとにありがとうございます。04年の7月に高知で初演できました『学校行きたいねんーただ愛してほしいだけ〜』は、私にとり始めてのひとり芝居で随分緊張しました。でも、松元さんをはじめ多くの皆さんが高知まで駆けつけてくださり心強くスタートと切れました。今回実行委員の皆さんのお力で、平野区で公演できることになりよりパワーアップした楽しいお芝居をお見せできるものと確信しています。なにとぞよろしくお願いします。

さて、私は小学校の頃、不登校になりました。一旦休むと休み癖がついてしまうというのか、ほんとうに行く事が出来なくなるんです。たまに登校して、友達とのコミュニケーションが取れなかったりするとまたそれが理由になり行けなくなる。それでも無理に行こうとすると、ほんとに胃がきりきり痛んだりしてしまうんですね。それが中学校の終わりぐらいまで続きました。ほんとうに自分では、どうしようもない体験をしたと思います。

最近、マスコミなんかでは、不登校児と事件をやたら結びつけて、(寝屋川の学校で起こった事件が不登校児によってなされたことから)不登校がいろんな少年犯罪の温床であるかのような報道がなされていますが、それも経験者として当事者の子供達が見ればどう傷ついているか、心配なことで私にとり他人事とは思えないことなのです。私はこのお芝居で、経験者として不登校の間どんなことを考えていたか、どんな気持ちだったのかを訴えていきたいと考えています。

私は幸い高校時代目指す進路ができ、看護師になることを決意してから学校へ行けるようになったのですが、今渦中にいる子供達、多くの苦しんでいる親御さん達に見ていただきたいお芝居です。今まで上演した幾つかの所で私は、「もし、不登校で悩んでいる人がいて、先生や親にも相談できない人がいればよければ私にお手紙をください。」と言ったところ、何人かの子供さんからお手紙を頂きました。「誰にも言わないでください。」と切実な中身が書かれてあり、私はその手紙をくれた子供の気持ちを胸に大切にしながら演じていきたいと考えています。

司会:
ありがとうございます。このお芝居は「学校へいきたいねんーただ愛してほしいだけ〜」になっています。作・演出は「ヒミコ伝説」等、新屋さんのお芝居を数多く手がけられた鶉野昭彦さんですよね。様々な想いのあるネーミングだと思います。このお芝居を生み出すきっかけになったと思われる不登校問題の背景、原因などについてご意見をいただければ有難いと思います。

◆子供達にのしかかる競争万能主義教育

松元:
先程山岸さんが、不登校問題の背景に教育制度の問題があると指摘されていましたが、私も少し危惧する点がいくつかあります。1月20日小泉総理が所信表明演説の中で、「教育改革」を打ち上げていましたが、「学校選択性」や「学校評価性」を導入するとか言ってびっくりしました。東京都なんかは先行して実施されているようですが、好きな中学校を選べるんですよね。また、評価をつけることで「勝組中学校」「負け組中学校」を作ろうという、昔問題となった「越境」をやろうと言っている。日本の教育がこれから何処へ向いて行くのか少し心配になりました。

小林:
そうですね。逆に「イジメ」や「不登校問題の克服」と言って、こういうことをしようとしてるんですから困り物ですよね。まるで、能力主義教育についてこられない「落ちこぼれ」は「負け組中学校」でゆっくりしなさい、と言っているようです。

司会:
日本の教育制度そのものに原因があると言う指摘ですね。部落解放運動では、長年教育問題を取り組まれてきたと思いますが、河内さんいかがでしょうか?

◆結局弱者が切り捨てられてきた

河内:
「ゆとり教育」の良し悪しはいろいろあるでしょうが、この何十年で、能力主義、競争主義教育が克服され、「ゆとり教育」が生み出されてきた経過がある、と思うのですよね。それは、従来の能力主義教育では、低学力の部落の子供や低所得層の子供達が、見事に学校から排除されて来たんですよ。私達は、地元地域で子供達を育てていこうと、現場の学校、家庭が協力しながら今日まで来ました。非行、低学力の克服を課題として運動をしてきました。しかしながらそれに逆行している今の流れは、不登校児を文部科学省があえて作りだしているようなもんだと思います。

「ゆとり教育」の良かった点は、別に子供を遊ばせるためのゆとりではなかったのです。親の労働や社会の課題に注目し自分はいかに生きるべきか?を考える時間「総合学習」として生かされなければならなかったのですが、そうならなかったことも多かったですね。だから、今私達がこんな「総合教育」を地域、家庭、学校が一体となってやっているみたいなものを発信していかなければこういう動きには対抗できませんし、不登校問題克服のカギもその辺にあるような気がしています。

◆生き方を問う教育が必要

新屋:
今、やってはるかどうかわかりませんが、以前「解放塾」というのがありましたよね。学校の勉強について来れない子供達を集めて勉強会を開催されていた。その場は、単に勉強を学ぶ場ではなくて、子供達と討論したり、お芝居を見たり、ひとりひとりの生き方を問うような実践をされていて素晴らしいと思いました。

河内:
まさに解放運動の実践です。解放運動はひとを作る事に重きをおいてここまでこれました。

司会:
たしかに不登校問題を克服してきた先例が解放運動にあるように思いますね。非行、低学力、長欠児童の克服が同和教育の出発だったように思います。ただ、貧困や地域的な差別が背景にした、そういった子供達の荒れが原因だった不就学と今の不登校は違うものもあると思われますが、そのことについてもご意見をお聞きしたいと思います。

◆混乱する教育現場

河内:
一生懸命取り組んでおられる方も多いことを充分承知したうえであえて恐縮して申し上げますが、教師のあり方については皆さん如何お考えでしょうか。教師自身大変な受験戦争を切り抜けて、ひとの痛みが解らない、ひとの思いを伝えられない先生がいることも確かです。クラスの中で子供の想い、ストレスや行動の背景について把握して対処する、教育できている先生方がほんとに少なくなったと考えざるを得ません。だから子供たちも、相談できない、共有してもらえない状態になってきていることも原因のひとつだと考えています。

◆今こそ地域のセーフティーネットが必要

山岸
そうですね。話は変わるようですが、私は体罰には必ずしも反対する立場ではありませんが、昔はそこまでして関わっていこうという教師の気持ちがあったと思うのです。それは子供には伝わると思います。今、そこまで先生が生徒に関わっていない、という現状はあると思います。それだけ不登校の原因が多岐に渡っていて教師の側も少し放心状態になっているということもあるのでしょうね。

私は、議会でもスクールカウンセラーの充実や少年サポートセンターなどを大阪府に求める質問をおこないました。もちろんそれだけでは不十分で、青少年の育成という観点からは、地域でこどもを育てるということで、地域で教師をサポートしなくてはいけないかもしれません。京都宇治の事件で頓挫しましたが、ゲストティチャーだけでなくて、地域で剣道や空手を教えている方に学校のクラブへ来てもらう計画、街のお年よりの話を聞くことなどその地域の総合力を学校に持ち込まなければなりません。

◆社会が見えない子供達

小林:
このお芝居で、主人公の高村すずめが不登校になったいくつかの要因にひとつに、残念ながら教師の態度に起因することもあるんです。でも、学校へいけず、過ごしている公園で多くの人たちと出会うのです。部落の青年や在日のおばあちゃん、リストラされたサラリーマン等々、それらの人たちに励まされていくのですが、すずめにとって公園は社会そのものだったんですね。今の学校や地域で学べなかったことが公園にあった、それですずめは救われていくんです。あんまり喋るとお芝居面白くならないですから(笑)このへんにしますが、人との関わりが大事なんですよね。また私の知り合いにもたくさん教師がいますが、ほんとに子供のことを自分のこととして捉えて、自分がカウンセリングまで受けながら、まさに身を削りながら奮闘している方もいます。

司会:
学校の先生ばかりに話が集中しましたが、あと家庭や地域についてはいかがですか。

◆時々怖い親の顔を見せるのも

松元:
私どもの子供は中学生の頃、いわゆる「パシリ」をやらされていた時期がありました。それも、親の財布からお金を抜き取るものでした。ある日たしかに5万円入れてたはずなのに、4万しかないことがあった、「どこかで使ったのか?」と思いながらいたら、また同じ事が起こった。子供の仕業でした。パシリが原因であったことがわかり学校へも乗り込みましたが、結局、子供を変えたのは、親の「いいものはいい。悪いものは悪い。」と体を張って糾せる気合というか、熱意というかそんなことではなかったか、と思います。
新屋:
乗り込んでこられた時、学校の先生、怖かったでしょうねえ。(笑)

◆体を張って諭す努力が不足している

河内:
松原3中は、今は立派な学校ですが、初めて赴任した北川先生は窓ガラスが全部割れたすさまじい学校だったと聞きます。そんな荒れた生徒にまさに体を張って諭し、糾すこと、それが力になっていったと聞いています。教師も親も今不足してると思います。

私どもの地域の保護者、親御さんを見ていて思うのですが、あまりにも子供の言う事をストレートに聞いてしまっていて、学校に問題提起しようとしないんです。鍋島祥朗さんという方が三重県で調査したんですが、部落の子供は、部落外の子供に比べて、1.5倍くらいの割合で携帯電話、テレビゲーム、原付などの「娯楽的消費財」を多く持っているのですね。でも、家には机が無かったりして、そんなことを許してしまってるんです。家庭での教育条件を自ら厳しくしてしまっているところがあるのです。

山岸:
そういう意味で差別は見えにくくなってきているんですね。よく、部落の人たちも住宅が出来て、いい車に乗って、ブランドのバックもったりして、もう差別はないやん。という人もありますが、それは表面的なことで、差別によって家庭で学力や進路を奪ってしまってることもあるんですね。

◆親の姿がどう映るのか

河内:
でも、この際、カミングアウトしてしまいますが、私の家庭は「父子家庭」なんです。19歳になる娘がいますが、どういう家庭、親子関係を作れるのか随分悩みながらここまで来ました。妻と別れた時、小学校1年の娘は「父とちゃんと生活していけるか」不安だったろうと思うんです。だからできるだけ不安を取り除けるように、例えば、遠足は私がお弁当をつくりました。コンビニに走れば楽だったんですが、あえてそれをしなかったです。おとうさんでも、そこそこやっていけると思わせるために必死だったのです。参観日も行きましたね。私が出来たからと言うわけではではありませんが、簡単にそれは差別の結果、仕事が大変で、遠足にお弁当を作ってやれない、と言って欲しくないんですね。そりゃできない時もありますが、運動やりながら、仕事しながら、どんなに遅く帰って来てもお弁当作った、というのは子供にとってもいい影響を与えたと思っています。

家庭に責任がある、というのは大変言いにくい話なんですが、あえて私は家庭にも責任があるといいたいです。

◆自分で決める事が大事

新屋:
親、保護者の役割って難しいように思います。私の知り合いのタクシー運転さんの息子さんが不登校になられて、何とか学校へ行かそうとして、最初は途方にくれてしまいましたがそのうち学校を辞めてしまわれた。でも、その子は、自分で板前になる修行先を自分で見つけてきて、生き生きと板前めざして頑張っているらしいです。けっして子供に押し付けることでなく、何が向いているのか、どんな生き方をするのか?しかも自分でそれを考えて選ばせることが大事ではないかと痛感した話を聞きました。

河内:
ほんとにそうですね。子供が自分の責任で考えていくというのが大事なんですよね。

司会:
さて、不登校の背景について多くの意見が出されていますが、決して原因、背景はひとつではないということだと思います。いろんな条件が絡み合って、だからこそ問題を難しくしているのかも知れません。ほんとにこのお芝居上演で終わらせる事ではなくて、平野でこの問題を考えていける地域での母体づくりに繋がっていけばいいと考えます。
それでは、皆さんから、このお芝居を通じて訴えたい事をお願いします。

◆永遠のベストセラーに
松元:
私は、このお芝居が気に入っただけではなくて、不登校は大人の社会が作った苦しみだと思っています。また将来の企業を支える人材が、こんなことで苦しむのは不本意だと思っています。私は120歳まで生きますが、次の社会を担う人間を育てる事も企業の社会的な役割だと考えています。また、この『学校へ行きたいねんーただ愛してほしいだけ〜』は普遍的な内容ですので、新屋先生の『身世打鈴』同様長く続くベストセラーとして上演しつづけてほしいと思っています。これからも応援していきたいと考えています。

新屋:
企業家がこういう志を持っておられることは素晴らしいことだと思います。

山岸:
そうですね。新屋さんの「身世打鈴」上演で人権と「企業の役割」についてぶち上げた松元さんには驚かされました。対策的に、リスク対応として人権問題を捉えている会社が多い中で松元さんの姿勢は企業の信頼度を高める取り組みであると、各界で評価されています。

◆不登校の原因を家庭・学校で見つめなおすきっかけに

河内:
「今日も机にあの子がいない」が合言葉で同和教育は始りました。それは、学校へ来れていないことの原因をみんなで探ろうということでした。今まさに、そんな時期に来ていると思います。このお芝居を見ていただいて、自分のクラスを、家庭を見つめなおす、そんなきっかけにしてほしいと思います。

◆安心・安全・快適な教育を平野の地から

山岸:
私は、このお芝居を河内さんや松元さん、この実行委員のみなさんと一緒にできたことが何よりの喜びです。中々一夜にして変わらない事は多いとは思いますが、長く回を重ねてこのお芝居を継続してやって欲しいですし、平野という地域でそう言った子供を守るセーフティーネットをつくる基礎が出来たと確信していますので、今後とも皆さんよろしくお願いします。

司会:
さて、少し、観点を変えまして、このお芝居上演に向けて、松元さんの会社であります鞄圏z運輸では、トラックボディー全面にチラシと同様の写真と平野公演の呼びかけを描いた「小林育栄号」を作って参加を呼びかけておられるとか。

◆「IKUE号」大阪の街を快走中

松元:
「IKUE号」は実際に運送業務に携わる車で、荷主さんや町行く人々から話題沸騰です。また環境にやさしいハイブリッド車両です。可愛がってください。(笑)また、日時、会場を示した部分だけ取り外しが可能なので、平野区公演が終わってからもこの後、決まっている富田林や各地の公演案内に利用しようと思っています。

小林:
ほんとに感激しています。以前、鰍モれ愛交通のポスター、パンフレット制作に新屋さんと出させていただいた時にも、こんな会社があるのか、と感心させられました。私も看護師時代から介護について大きな関心を持つ事柄ですが、「介護と福祉」と「移動と交通の役割」なんかについて、こんなに熱く語り、真剣に考えている会社があることに驚きました。先ほど、松元さんが企業の社会的責任ということをおっしゃっていましたが、私もまったく同感です。でも、いつも松元さんのされる事には、驚きの連続です。(笑)

◆新屋さんのDNAを引き継いで

松元:
このお芝居を見て、私はこれは小林さんのライフワークだな、と感じました。ずっとずっと続けてほしいです。おばあさんになってしわくちゃになったらセーラー服姿はどうするのかという問題はありますが(笑)劇中、主人公に影響を与えた様々な人物が、部落の青年であったり、在日のおばあちゃんであったり、さすが新屋さんのプロデュースという感じで見ごたえがあります。

小林:
いやいやいくつになってもセーラー服は着ますよ!(笑)私もみなさんの応援でずっとやり続けたいお芝居です。

司会:
ありがとうございます。それでは、もう一度最後に小林さんからこのお芝居で訴えたい事をお聞きしたいと思います。

不登校は悪い事じゃない!「学校へいきたいねん」と言える日が来るのを信じてます。

小林:
私は、あえて言わせてほしいのですが、不登校は悪い事じゃない、と言いたいです。ある学者の先生が、「不登校児は哲学者である」と言ったことがあります。私はそのとおりだなと思います。行きたくない間は無理していかなくていい、これが不登校に今悩んでいる子供さんに贈りたいメッセージです。自分の経験を考えても、確かに苦しかったけれど、自分と向き合い、物事をしっかり考えられるようになってきたのも私の場合は不登校がきっかけでした。また、人に対する傷みや苦しみをわかるようになったのも不登校がきっかけです。不登校児に問題があるんではなくて、学校やいろんな環境で学校へ行けなくなってしまっただけだと思うんです。決して不登校児にとって今は悪い時期ではない、これから生きていく人生にとり役に立つと言いたいです。
でも、私にとって学校は「ふる里」でもあります。嬉しい事も、辛いことも混ざり合って今日の私を作ってくれたんです。みんなが「学校へいきたいねん」と思える日が来ると信じています。

司会
本日はみなさん忙しい中を有難うございました。
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